« ヌルハチ | メイン | 歴史的には、シミュレーションという用語 »

脚気原因説(窒素と炭素の比例不良説(たんぱく質の不足説))

高木の脚気原因説(窒素と炭素の比例不良説(たんぱく質の不足説))と麦飯優秀説(麦が含むたんぱく質は米より多いため、麦の方がよい)は、原因不明の死病(脚気)の原因を確定するには、根拠が少なすぎ、医学論理が粗雑すぎた。このため、東京大学医学部と陸軍軍医部から次々に批判された。とくに大沢謙二(東京大学生理学教授)の消化吸収試験結果により、食品分析表に依拠した高木の脚気原因説は、机上の空論にすぎず、誤説であることが明らかになった。その実験成績に基づく正論には、高木も反論できず、海軍での麦飯支給の結果をいくつか公表して沈黙した。一般医界も高木の脚気原因説と麦飯優秀説への反対が多く、国内で賛同を得るどころか、四面楚歌のような状況におちいった。日清戦争とその後の台湾平定戦で、陸軍の脚気患者が急増したことを受け、某海軍軍医が陸軍を批判したものの、学問上の疑問点を挙げて反論されると、その海軍軍医も沈黙した(ビタミンを知らない当時の栄養・臨床医学では説明できなかった)[2]。もっとも、そうした疑問を解消できなかったが、海軍軍医部は、日露戦争の戦訓もふまえ、海軍の兵食(麦飯)で脚気を「根絶」したと過信してしまう。現実には、高木が没した大正期の中頃から、海軍の脚気患者が急増した(その後、1928年1,153人、1937年から41年まで1,000人を下回ることがなかった[3])。その理由として、兵食の問題(実は航海食がビタミン欠乏状態)、艦船の行動範囲拡大、高木の脚気原因説が誤っていた影響、「海軍の脚気は撲滅した」という信仰がくずれたこと(脚気診断の進歩もあって見過ごされていた患者を把握できるようになった(それ以前、神経疾患に混入していた可能性がある))が挙げられる。海軍の外に目を転じると、昭和期に入っても1938年まで、国民の脚気死亡者数が毎年1万人から2万人の間で推移していた。
スポット 審美歯科 フランチャイズ 離婚 就職 ブログ 包茎 アウトドア リフレ バイク 予備校 特産物 スクール 旅館 ネイル 起業 しわ取り 内職 バイク リフレ 生活 アロマ 電器製品 専門学校 植物 セミナー 交通地図 健康 遊園地 やせる 在宅 レストラン エステ 旅行代理店 暮らし フランチャイズ 探偵 アロマ スポーツ アクセサリー ショップ 家庭教師 観光 ケア 交通 ネイル 設計施工 ローン 金融 仏壇

海軍の兵食改革(麦飯支給)に否定的な陸軍は、日清戦争のとき、大本営陸軍部で野戦衛生長官をつとめる石黒忠悳(陸軍軍医総監・陸軍省医務局長)や軍医部長の一人森林太郎(森鴎外)などが科学的根拠がないとして、麦飯の支給に強硬に反対した。このため、とくに日清戦争後の台湾平定戦では、高温という脚気が発生しやすい条件も重なり、患者が急増した。最終的に陸軍の脚気患者は、日清戦争とその後の台湾平定戦をあわせて数万人、病死者は4,000人と伝えられている(公式資料が刊行されたのは日露戦争後の1907年[4]。また、台湾での惨状を伝える報道等は途中からなくなっており、石黒にとっても陸軍中枢にとっても、国内が戦勝気分に浸っている中、隠蔽したい出来事であった)。戦死者は300人で戦死者より脚気で病死した兵士のほうが多かった(なお史料により人数が異なる)。しかし、総責任者の石黒は、長州閥のトップ山県有朋や薩摩閥のトップ大山巌、また児玉源太郎などと懇意で、明確な形で責任をとることがなく[5]、その後、予備役に編入されても陸軍軍医部(後年、陸軍衛生部に改称)に隠然たる影響力をもった。

陸軍省医務局長が小池正直に代わっていた1900年に義和団の乱(北清事変)が勃発し、第五師団(戦闘員15,780人、非戦闘員4,425人、兵站部員1,030人)が派遣されたときも[6]、首都北京をめぐる局地戦が主で輸送に支障が少なかったにもかかわらず、前田政四郎(第五師団軍医部長)が麦飯の支給を希望しながら麦が追送されなかったこともあり、1年ほどで2,351人の脚気患者が出た[7]。ちなみに戦死者349名、負傷者933名。

日露戦争のときも、麦飯派の寺内正毅が陸軍大臣であった(麦飯を主張する軍医部長がいた)にもかかわらず、大本営が「勅令」として指示した戦時兵食は、日清戦争と同じ白米飯(精白米6合)であった。その理由として「麦は虫がつきやすい、変敗しやすい、味が悪い[8]、輸送が困難などの反対論がつよく」[9]、その上、脚気予防(理屈)とは別のもの(情)もあったとされる。白米飯は庶民あこがれのご馳走であり、麦飯は貧民の食事として蔑まれていた世情を無視できず、また部隊長の多くも死地に行かせる兵士に白米を食べさせたいという心情があった。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.yfjjai.biz/blog/mt-tb.cgi/1136

About

2009年06月02日 08:38に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「ヌルハチ」です。

次の投稿は「歴史的には、シミュレーションという用語」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35